考えることについて
今日の授業がいろいろ繋がっているような気がして少し残す。
2つ目の授業でSNSとAIについて考えた。
3つ目の授業でLUCYという映画を見た。
LUCYはグロや医療系が苦手な私にとっては見るのはしんどいものでしたが、後半の展開はすごい好きでした。
考えたことは以下の通り。最後に?がついていることはまだ自分でも整理のついていないこと、もしくは私では判断ができないもの。
・モノが重要視される博物館において「すべてを提示する」ことは可能か?
・人間らしいAIはどのように作られるのか?
・マーシャル・マクルーハンのメディアは身体の拡張を、人間の依存度が高い道具に置き換えるとどうなるか?
・人は脳を多く使うと食べる量が増えるのか?
・恐怖を感じなくなることは人間としての特徴を喪失したといえるのか?
・すべての細胞を制御できると手を変形させることは可能なのか?
・人の脳を100%活性化することは道具になることと同義か?
・生き物の生存は不死と繁殖、なぜ環境が悪いと不死を選び、良いと繁殖を選ぶのか?
・不死と繁殖、人と道具・メディアの境界線とは?
・すべてを知るはとても大変なこと。だから人は単純化し多すぎる情報から目を背ける
→だから必要な情報だけを集め、引き出すことは重要=博物館の存在理由
・ルーシーはパソコンを取り込んで100%活性化した自身の脳を活用したが、博物館の次世代型はインターネットか?(これは少しわかる気がする)
・脳の使える範囲が拡張することで他人をコントロールすることは可能か?
・100%のルーシーは過去と現在の世界中(過去の初期においては宇宙)を知ることができたが、未来はどうか。
もっと疑問があった気がするが覚えているのはこれだけ。
今回はそのうち「恐怖を感じなくなることは人間としての特徴を喪失したといえるのか?」について少し書き記して寝ようと思う。
主人公ルーシーが脳の活性度が10%(一般的な人間)の時、マフィアの監視下にいた彼女は恐怖で過呼吸になったり、感情によって行動が制限されていたが、感情が無くなる(特に顕著なのは恐怖)ことで行動に迷いがなくなった。その結果一方通行の道路を逆走したり蛇行運転をする、活性化した脳で車を横転させることもいとわない。
これは人間らしさ、ルールを守ることを放棄したように見える。脳の活性化が進むと機械的になるのかについては疑問だ。