記録

勉強したことに関するのノート。見返して分かるようにしてます。

2:哲学

哲学用語図鑑を読み、興味を持った哲学の理解と、自分が感じたことをまとめていきます。 www.amazon.co.jp

《見方》
論名:ざっくり理解した内容

例示

→自分の考え


ミュトス(神話):自然現象は全て神話によって理解された。 しかし、生まれ育った場所や環境で解釈が違う。

雨についてどう考えるか?  
・神様からの恵み  
・神様が泣いている  

ロゴス(合理的):ミュトスのように認識が違うではなく、だれもが納得する根源を考える。自然哲学の始まり(万物の根源は…水/原子/空気/数)

あるものはある。ないものはない。:生きている時はある。死しても遺体があり、遺灰があり自然に還っても物質的に存在する。

原子論:これ以上細かくできないもの(原子)が空虚を漂う。死ぬとバラバラになってまた形になる。
→宇宙の中と外みたい。宇宙の外にはまだ何があるのか分からない。もしかしたら宇宙の外=空虚で、宇宙が空虚の中に存在しているのかも。

人間は万物の尺度:みんな感じることは違うんだから絶対的正義などの共通心理・価値は存在しない。
→長さも人間が勝手に決めてるし、なんならフィートとかセンチメール法とか同じ長さを表すものなのに、違うものが採用されてたりする。宗教も一神教もあれば多神教もある。独我論にもつながってそう。

問答(モンドウ)論(産婆論):比べること(相対主義)により自身の考えを正当化させた政治家に無知さを自覚させ、本当の知識を知ろうとさせる。
→ゲームに活用できそう。

ドクサ:入ってきた情報を考えずに思い込むこと。
エピステーメー:考えることでドクサを退けて得る理性による知識。

イデア:ideaの語源。イデア界(完全なものがある世界)が存在し、その影(洞窟の比喩)や模造を見ている。あらゆるものにイデアが存在し、最高峰が「善」のイデアである。
・生まれる前は私たちはイデア界にいたので、イデアを思い出しながら物を作ることができる=想起説(アナムネーシス
・美しいと感じるのは魂がイデアを思い出しているから。いつでも私たちはイデアをもとめている。

・この世界が物質的である限り完全な直線が存在しない。
・違う見た目や種類の木を同じ「木」と認識できるのか?
 →すべての木に共通する「木」のイデアが存在する。

→洞窟の比喩はドクサが関係している。知らないうちに当然だと思い込んでいるものは実はそうじゃないのかもしれない。

形相・質料:本質はイデアではなく形+素材にある

ガラスコップ=飲める形+ガラスの素材

→前ツイッターで言ったことに近い気がする。これを転用してできないだろうか?

四原因説:物事は「形相因」「質料因」「目的因」「作用因」の4つで構成されている。

家が建つ=家の形+木やコンクリートなどの素材+住む目的+大工の存在

→作りたいなぁと思ったアナログゲームの要素として使えそう。それか1つでも欠けると起こり得ないのはとても納得できる。

テオリア:生き物やモノが幸せだと感じる瞬間は、そのものが持つ固有の機能を使えている時。人間の機能は理性であり、考えている時が一番幸せ。イデアより四原因説を重視する。

知性的徳:知恵と思慮と技術。
論理的徳:勇気と節制。これは常に程度の真ん中を選ぶ習慣が必要。
この二つの徳で人間は幸福になれる。

【物事の感じ方】
鈍感←おおらか→神経的
これで言えば「おおらか」であるべき。

イギリス経験論:人は生まれつき知識は理性を持たず、経験したことしか知らない。
 帰納法:多くのサンプルを集め、答えを導く。

Aくんの犬は散歩が好き
Bくんの犬も散歩が好き
Cくんの犬も散歩が好き
↓
犬は散歩が好き

大陸合理論:人は生まれつき知識や観念を持っている。経験は間違い・誤認・思い込み・感覚の違いがあるので信用できない。
 演繹法:前提として何かの原理を知っており、AならばBと参照する方法。

犬は散歩が好き(前提として知っていること)
↓
Aくんのペットは犬
↓
Aくんのペットは散歩が好き

A=B
B=C
↓
A=C
(これは経験で得られる知識ではない=生得観念)

方法的懐疑:この世を夢だと疑うこと。デカルトは疑ってる自分だけは疑いようがないとする。(デカルト哲学の第一定理)

永遠の相(ソウ)の下(モト):人は自由な意思はない。行動の後に起こる意識は思い込みか勘違い。

事実かもしれないこと:神がAさんを空中に投げた。
Aさんが感じたこと:私は自らの意思で飛んだ。

モナド:精神世界上の原子(但し同じモナドは1つとしてない)で、モナド同士のコミュニケーション手段はなく、神のプログラミングによって最善になるように動く。そして予定通り調和する=予定調和であり、世界は偶然でできるものではない。都市が発展したのもその方が最善であるからだ。

タブラ・ラサ:生まれた時の心は白紙で、経験したことが紙に書き込まれていくこと。

単純観念:経験によって知り得たこと1つ1つ。
複合観念:単純観念を複数個集めて知った知識。

単純観念
・丸い
・平たい
・切り分ける
・トマトソース
・チーズ
・脂っこい
・おいしい
↓
複合観念
・ピザ

このうち、人が存在しなくても存在するもの(重さ・大きさなど)=一次性質
五感によって知り得るもの=二次性質

→分けることを考えるうえでよく考える方法だとおもう。

知覚の束:人間とは知覚が集まったもの。人間は実体を持たない。
→私たちが動かしていると思っている身体は人間の部分ではないということ?なんと呼ぶべきか?メディアは身体の延長だっただけでなく、身体すら人間の一部ではないとなるとメディアも身体も同じ部品なのかも?

認識論:主観と客観の形は一致するのか?観念をはじめから持っていれば一致するが、重さなどは人間は決めることだから客観が含まれると考える。

モラリスト:異文化の人に対して偏見を捨て、謙虚に学ぶべきと考える人

人間は考える葦である:理性は万能ではなく、知識や理性は限界があり、人はちっぽけな存在である

啓蒙主義フランス革命を起こした考えの一つ。政治をもっと論理的・合理的に考えようとすること。

ア・プリオリ:人には経験の仕方と理解の仕方をプログラミングされており、経験によって学ぶための設備が整っている。時間・空間は人間の頭の中にしかない。物事は空間の中にある。悟性のカテゴリーという共通の考え方がある。

物自体:人の目はフィルターであり、フィルターがかかっている限り本当の世界は見えない。酔っている時も歪んで見える。
→色の認識が男女によって違うらしいが、これは「目」によるものか脳の処理に関することなのかは分からない。しかし、母とよくこの色は青色なのか緑色なのか、意見が対立することがある。

コペルニクス的転回:私たちはモノ(物自体)を見てそのまま認識いるのではなく、モノを見てそれに合うデータ(イデア的なもの?)を思い出し、それを認識しているという考え。

批判哲学:否定することではなく、もう一度考え直す哲学。

絶対精神:「自分の行動」を高次元な私が考えることで認識能力が上がり、モノの本当の認識ができるようになること。
 弁証法:絶対的で普遍的な審理を得る方法。1つの主張に対し、反対派が存在する。その二つのいいところを組み合わせて1つの考えを生み出す。それにまた反対派の意見を取り込んでいくことでどんどん高次元の知識になる。歴史は自由な社会を得るため、弁証法を使っている過程である。

A:丸
B:長方形
↓
円柱

→上の例だけでいけば投影図の考え方に似てる?

ペシミズム:存在したいという盲目的意識だけで社会が変化しているという考え方。進歩ではない。これから一時的に逃れる方法は芸術に浸ることであり、根本的に逃れる方法は他者に同情し、苦しみを共有するか仏教で解脱すること。

例外者:何があっても自分だけの価値のあるものを守る人。単独者。

「偉大なナポレオンが歴史を前に進めるために、行く先にある花を踏み潰すのは仕方ない」
花(例外的価値)を守るのが例外者

実存主義:一般的な考えとは無関係に主体的に生きること。自分だけの心理を探求する人。実存に到達するには3段階あり、美的実存(感覚的に生きる)、倫理的実存(自分の正義感を基に自己実現をしようとする)、宗教的実存(神の前にたった一人で立つ単独者)であるが、初めの二つで絶望を感じ、宗教的実存で本来の自分を取り戻す。

功利主義:快楽は善、苦痛は悪であるという価値観。

(労働の)疎外:人間の本質は労働であるのに、資本家の見にくい争いにより労働者の報酬が減少し、本来楽しいはずの労働が苦痛となること。

観念論:世界を形作るのは精神的なもの(イデア・知覚の束)である。
唯物論:世界を形作るのは物質(原子・水・数)である。

ニヒリズム:自分の行動の目的を見失うこと。そうならないためには自分で考えて自分だけの価値を作り出す能動的ニヒリズムを作るべき。

現代化により宗教の力が弱まった
↓
人々は何を信じればいいか分からなくなる
善悪判断や何を目的にして生きればいいのか分からなくなる

遠近法主義:同じ景色を見れば人によって消失点は異なるのは解釈が違うからだ。客観的事実は存在せず、解釈だけがある。

超人:既存の価値にとらわれずに、新たな価値を生み出す人。初めは理解されにくい。

人生に関する考え
キリスト教(既存の考え):人類の共通目標はがあり、そのゴールに向かっていく(直線的思考)
ニーチェ(超人):永劫回帰において自ら目標を作り、回る。(円環的思考)

プラグマティズム:知識とは何かに対して検証ができる結果を予測すること。道具よりもそのものを使った結果、実用的か否かを重視する。

氷が水でできていることだけを知っていては意味がない。
氷に熱を加えると溶けることまで知らないと氷を知っているとは言えない。

エロス:生への欲動。
タナトス:死への欲動。何もない状態を求める。

言語の恣意性:言葉とモノの結びつきは言語によって違う

日本語:蛾と蝶は分けて認識
フランス語:二つとも「パピヨン」として認識される

日本語:飼いうさぎと野良うさぎも「うさぎ」
イギリス英語:ラビットとヘアーに分けられる

現象学:モノがそこにあると考えるとき、モノは主観の外にあるからこそ意識にも表れる。しかし、認識しているのは意識の中だけのことなのに、何故「主観の外」にあるものを信じ切っているのか。それを解明すること。
→私の認識イメージに一番近い考え方かも。信じていいのはどこまでかなんてよくわからない。

現象学的還元:主観と客観が一致しているかは確認できない。だから確信している根拠は何かを解明する。

エポケー:現象学的還元の方法の1種。一度その存在を徹底的に疑う。

エポケーの方法・ピザの存在
・知覚直観
ピザが(ある)
ピザは(脂っこい)
ピザは(赤い)
・本質直観(知識的感覚)
ピザは(おいしい)
ピザは(柔らかい・食べやすい)

これらは主観では疑いようがない。しかし、モノの側面の少しを見ているに過ぎない。 そしてなぜ信じているかを知ることが重要。

間主体性:自我ではないものの存在を認識し、自分と同じ形を持つものに感情移入することで他我を知ること。

存在論:世界を「存在者」と「存在」に分けて考える。

疑問点
・人が認識できないものは存在しているとしたら存在しているといえるのか?
・「無」は存在しているのか?

ハイデガーの時間の考え方:時間は皆に平等に、自分の外を流れているのではなく、自分の中に時間を受け止めて、過去を自分のものにする。

世界-内-存在:何かが存在しているということは人間特有の考え方であり、常に世界を解釈して生きている。人間ならではの存在の在り方。

本来性:いつかやってくる死を自覚し、自分らしい生き方をしようと決意する人。
非本来性(世人):周りと同じ行動をし、だれとでも交換できる人。

被投性:気づいた時には世界の中に投げ込まれている。自分で自分の存在を始めることはできない。

先天的決意:死を自覚し、進むべき道を決める。

投企:自らを進む道に投げ入れること。本来性の獲得。

限界状況:死や戦争、偶然の事故のこと。このときに人は自分らしくなる。悲しみをすべて包む存在=包括者(神やおばあちゃんなど)と出会うこともあれば、同じ限界状況にある人と出会うこともある。

イリヤ:失ったのに存在する主語なき存在。理解できない・恐ろしいもの。

写像理論:言葉は事実を写し取ったものであり、事実1つ1つに科学的な文が存在している。確かめられないものは言葉の使い方として間違っている。

言語ゲーム:日常会話は科学的な文章のオリジナルであり、日常会話には様々なルールが存在している。

今日は晴れた
↓これの意味することは?
・洗濯物が干せる
・昨日は雨
・遊びに行ける
・(これは暗号で、これが何かを始める合図)

パラダイムシフト:今までにない全く新しい曖昧な事実が分かることで階段式に上がっていくこと。階段の1段1段=パラダイム

パラダイムシフトに必要だった人:プトレマイオス・コペルニクス
パラダイム:天動説・地動説

実存主義:人は存在が先であり、本質はあとから自分で作る必要があるという考え。モノは必要だと思うものがあり、それから存在ができたもの。

即自存在:モノは本質としてただ存在している。
対自存在:自分の意識は常に自分を考えることでできるもの。「今の自分について」考えても、その「自分」は考えた時点で過去のものとなる。
→自分が好きなものを考えたとしても、それは何か思い出があるとか、過去に食べた時のことを参照しながら考えているので、もしかしたら一秒先の自分は苦手になってるのかもしれない。

あるところのものでなく、あらぬところのもの:過去や今の自分と未来の自分は区別され、今を考えてもすぐに過去になるため、人は常に未来を見ていると考えること。未来には不確定要素や多すぎる選択肢があり、人々を不安にしてしまう。これの解決のために誰かから与えられた「役」にはまろうとしがち。しかし、それは偽っているに過ぎない。 →自分は女だから、男だからという役にはまってしまうのはそういう理由なのかもしれない。自由すぎることは不安になることはエヴァンゲリオンのシンジくんが話していたような…

「新世紀エヴァンゲリオン最終回(世界の中心でアイを叫んだけもの)」(うろ覚えなので間違ってるかも)
真っ白な世界(自由な世界)に放り出されたシンジ。
何をすればいいか分からない、自分の形すらわからない。
不自由として地面が描かれる。
これによって自分が空を飛ぶことはできなくなったが、地面を歩くという目的を得た。
シンジは不自由になった代わりに不安が少なくなった。

身体図式:脳が手足に命令を出して動いているのではなく、手足のコミュニケーションによって相互に動いたりすること。拡大解釈として、(神が動かしているのではなく?)自分と他者、自然、モノは関係があり、それらは互いに影響を受けている。だから、大事な何かをなくした時に喪失感を感じることがある。
ライナスの毛布みたい。親しい人が亡くなった時の喪失感はこれのせい? ja.wikipedia.org

身体の考え方 デカルト:意識が体を操っている(操り人形のよう)、私は意識しかない。
メルロ=ポンティ:意識は体の中になければ存在できず、意識は体の中にある。身体は主体とも客体ともなる。

無知のヴェール:自分の置かれた状況が分からないこと。無知のヴェールをかけた状況でどんな社会を作るべきか話し合うべきだとロールズは主張した。

ハイパーリアル:現実と非現実の区別がつかない状態のこと。

狂人:中世において「狂気」は真理に近い考えであったのに対し、近世以降は否定的なもの。

パノプティコン:監獄の中心にマジックミラーで見えない部屋を作り、その中に監視員を置く。囚人からはそこに本当に監視員がいるかはわからないが、常に規則を守らなければならなくなり、おのずからルールを守るようになること。狂人の排除のシステム。

二項対立:善と悪、真と偽のように対立軸のあるもの。

差延:オリジナルとコピーが差異をふくみながら変化すること。

昔話
・昔誰かが話した話(話し言葉)
・誰かがその話を聞いて作った本(書き言葉)
・その本を見ながら読む(話し言葉)
・それを聞いた人が再編集する(書き言葉)
↓これが繰り返される

ノマド遊牧民的にいろいろな場所に動き、特定の場所に知識やモノを集める定住民的生活をしないこと。

オリエンタリズム:西洋人が東洋文化に触れた際、分からないことを1つにまとめて身勝手なイメージとして捉えたこと。


ここからは続哲学用語図鑑に関する内容 https://www.amazon.co.jp/dp/4833422344/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_Ttk7CbD21FVHE

上膳は水のごとし:水のように形状によって形を変えたり、低い方に流れて人が嫌がることをしたり、他人からの攻撃にも動じず、自分の功績を語らず、謙虚であるべきだ。

自然:日本では、自分で行うこと(結婚など)なのにあたかも自然にそうなったように言う。「自ら」を「みずから」とも「おのずから」とも読める=「自分の意思=自然の成り行き」

この度結婚する運びとなりました
引っ越しすることになりました

アウラ(オーラ):「今」「ここにある」本物の作品にしかない目に見えない力。複製品にはその力がなく、親しみがあったり気軽に感じやすい。
3Dプリンタによる作品はアウラがあるのか?むしろ複製によって親しみを感じてもらうきっかけにしやすい。複製により本物が消失・見ることを禁止されても複製品は見ることができる。

エクリチュール:言葉遣い。言葉遣いを変えれば身なりや生活スタイルが変化する。「正しい言葉遣い」の本には編集者のエクリチュールが含まれている。
零度のエクリチュールエクリチュールを含まない文章。事実だけの文章。バルトは日本の俳句が零度のエクリチュールとした。

神話作用:モノを見た時、純粋にそのもの(デノテーション)ではなく記号としての意味(コノテーション)でとらえる。

ピザを見た時
デノテーション:ピザ
コノテーション:イタリアン・おいしい・焼いたもの

鳩のコノテーション:平和・自由
長い髪のコノテーション:女性らしさ

→広告でよく使われる。色とかは特にコノテーションでの印象が強く出ると思う。

真理の有用性:真理が客観的であったり事実である必要はなく、自分にとって有用かで判断すべきだ。真理は個人で持つもので、それぞれ違う。

神の存在
A:特に関係ない、信じていない。
→無用
B:信じれば神様が助けてくれる、ありがたい存在
→有用

創造的知性:問題が起こった時、試行錯誤を行い、実践、試行錯誤、実践…を繰り返すことで真理を獲得し、新たな人間性へ導くこと。可謬(カビュウ)主義という知識や概念は常に更新可能性があることとセットで英米学校教育の中心となる。

機能主義:行動を起こさせる機能=心であり、よく脳=ハードウェア、心=ソフトウェアと表現される。脳と心は別物だと考える。

五感による知覚:ピザの存在
↓
脳・心:(考える)
↓
行動:食べる

コンピュータ機能主義(計算主義):脳がハードウェアであれば、心は人工的に作れるという考え方。
ブラックボックス主義:脳の中身はブラックボックスとして扱い、原因(知覚)と結果(行動)だけを見る。ブラックボックスを研究するのは神経学者。

哲学ゾンビ:心がない人。しかし、私たちと同じように痛みを感じれば「痛い」と声を出したり痛がる。
独我論に似てる?心を持ってるのは自分だけなのかもしれない。

形而学:実際に見たり聞いたりできない出来事を考察する学問。存在・時間・様相(無数の可能性)・同一性(アイデンティティ)・自由意志が主なテーマ。

水槽の脳:経験しているすべてはコンピュータにつながれた脳が経験しているバーチャルリアリティであるとする考え。

経験機械:自分の望む人生をバーチャルで送ることができる機会の中に存在しているという考え方。機械の中であるという事実には気づけない。(バーチャルから出る=バーチャルの意識の中の私は死ぬ)

スワンプマン(沼男):テレポートを行った時、それを「移動」と考えるか、「消滅と創造」と考えるか。

ある男が沼の側で死ぬ。
しかし、体も脳も原子レベルで男と同じ人物(スワンプマン)が沼から現れた。
スワンプマンは男の記憶があるので同じように社会へ溶け込み、周りも男だと信じて疑わない。

赤ちゃんが生まれた。
赤ちゃんは生まれてから20年たった。
赤ちゃんは70年生きておじいちゃんになった。
人間の細胞は6か月ですべて入れ替わる(らしい)
Q:生まれたての赤ちゃんと20歳になった人と70歳のおじいちゃんは同じか?何をもって「同一」とするのか?

因果律:世界で起こることはすべて過去を参照され、あらかじめ決まっている。ここに自由意志は存在しない。
ラプラスの悪魔:現在に至るまでのすべての知識を持った存在。全てを知っていれば次何が起こるか100%言い当てられる。

固い非両立論:何かするときに原因があれば因果律により決定、原因がなければ偶然。ここに自由意志が入り込む隙がなく、存在しない。


中世はどうしても神中心の世界だったので哲学もあまり新興していませんでした。神を信じる=神が作ったこの世界を盲目的に信じるということで、自身の思考に疑問を抱かなかったのかもしれない。